昨日の地鉄の話

普通に出勤して、ちょっとだけ残業して帰ってきた。会社はちいと大変なことになってるのだが、それはおいといて。昨夜何があったのかを書いておこう。


黒部の山を抜けて、トロッコ電車は普通車で雨に降られ、宇奈月で温泉に入った後、宇奈月温泉駅から電鉄富山行きワンマン普通列車に乗ったのが18時07分。車両はモハ14760形(地鉄オリジナル車)の2連だった。
数駅走ったところで何やら運転士が無線で話しているなと思うと放送があり、先行列車がこの先の浦山駅で落雷のため故障して動けなくなったので、この(我々が乗っている)電車で押していくことになった、という。
浦山駅は島式ホーム1面の交換駅。手前の信号機は停止現示だったが、一旦停止の後、係員の手旗に従って進行。そしてホームから出かかったところで停車中のモハ10030形(元京阪)2連に連結。扉が開いて、前の列車から降りていた乗客が乗ってくる。車内に電撃が走ったと言ってるおばさんがいる。変電所に落ちたとかではなく、列車を直撃したような雰囲気だ。

連結した後、ちょっと押したりちょっと引いたりを繰り返すが、全然動く気配がない。そもそもどっちの運転台で運転するつもりなのか。いや、もちろん前の運転台で運転するほかないはずなのだが、それで制御できるのだろうか。

徐々に乗客が苛立ってくる。いつ動くのか説明がないといって怒っている。顔見知り同士が多いのだろう。一人ならぼやいたところでしょうがないと思うところだが、知り合いが他にいると、意見表明をしたくなるものなのかも知れない。毎日のようにどこかでダイヤが乱れる首都圏とは列車トラブルに対する感じ方も違うと思う。

一方、我々4人はこのあたりで事態の深刻さに気づき始めていた。予定ではこの列車で18時47分に新魚津に着いて、魚津19時17分発のはくたか23号で越後湯沢21時00分着、越後湯沢21時11分発のとき340号で東京22時28分着、ということで指定席を確保済み。しかしこんなことをしていたら、30分の余裕なんて簡単にすっ飛んでしまう。予定の列車に乗れない場合は魚津19時57分発の北越9号に乗って、長岡経由で東京着23時40分、というのが最終接続だ。これだと経路が違うので、切符を買い直す必要もある。さらにこれに乗れなかった場合は、能登か北陸か夜行バスか、あるいは一泊して始発の飛行機か、という選択肢になってくる。と、いう話をあすまさん(id:asuma0760)としているのは、すごく楽しいのだが、時間は刻々と過ぎていく。

ドアは一旦閉めてあったのだが、当分動きそうにないので乗客が文句を言って開けさせる。で外に出て撮ったのがこの写真。手前が14760形で、奥が10030形。連結部に立っているのは、文句ばっかり言ってて一番ウザかったじいさん。目線の先では運転士が指令所(?)と携帯電話で話している。断片的に聞こえてきた言葉を総合するに、連結してはみたものの、ブレーキ制御やATSの関係(?)で、どうやって動かしたらいいものか分からない、ということのようで。はぁ…。そもそもこの2形式って、故障してない場合には総括制御できるのだろうか。

結局客を車内に戻して、タクシーなどの代替手段を考えている、といいながら運転士が行き先を聞いて回る。我々は新魚津乗り換えで東京だ、というのと、19時50分(本当は57分だが、間違った)が最終接続だ、なんとかしてくれ、ということを言う。この一言が効いたのかどうか、暫くして連結を切り離して、ポイントの手前まで戻り、反対側の線路に入って、そして故障車を取り残したまま出発。以後は地鉄とは思えないほどのスピードでぶっ飛ばしてくれた。先頭車は危ないんじゃないか、などと悪い冗談を言う私。

気になるのは切符の変更がどうなるのかという話。周りの乗客の話によると、新魚津駅は19時以降無人になるという。つまり地鉄社員に何かを頼もうとしてももう駅にはいないので、運転士に頼るほかないということになる。この時点で既に19時57分は絶望的という感触になっていた。電鉄黒部で止まった時に、あすまさんが運転士にかけあう。運転士は駅事務室まで行って打ち合わせてくれたらしく、JR魚津駅に連絡しておきます、とのこと。結果として、ここでの時間ロスが最後の望みを断ち切った形になったようだ(渡瀬さんが「原因不明の停車」と書いているが(id:yasai:20050523:1116845579)、スマン、ここの長時間停車の原因は俺たち自身だ)。新魚津着、20時00分。長い地下道があるので、電鉄黒部で止まってなくても間に合わなかったとは思うが。

JR魚津のみどりの窓口へ行く。問題は既に発車済みのはくたか特急券だ。地鉄から連絡が来てると思うけど…というと、横の事務室から出てきた駅員が、「確かに話は聞いたが、どうにもできない」という。「発車前に申し出たことにしてもらえませんか」と頼むも、そんな無理はきかない。まあ、仕方ないわな。無理を聞いてもらいました、なんてブログに書かれた日にゃ、ねえ。結局この分は払い戻しも何もできないことに。
北陸で帰ることになったので(能登にするかで迷ったのだが、寝て帰りたいという声が大きく、北陸に決定)、乗車券はほくほく線経由から長岡経由に変える必要がある。購入者のあすまさんに任せていたのだが、C制だったので払い戻し手数料がいるよ、という話になっていたらしい。そんなことはないのだが…といっていたら、乗る前に改札でこの件は訂正してもらえたらしい(ということだと思うけど、何がどうなったのかよく知らない)。


以上のような事情で、北陸に乗って帰京するという想像もしない事態となった。長岡と水上で目が覚めた記憶があるが概ね熟睡して、高崎で起床。大宮で降りて、埼京線で新宿へ向かい、上のような時刻に帰宅できた。シャワーを浴びてすぐに出社。眠くて仕方ないのではないかと心配だったが、よく寝られたおかげか、なんとか持った。能登だとこうはいかなかっただろうな。