「できます」の意味

# izumino 『それによれば「それぞれの意味について説明をつけることができます。」と書かれていますから、これはcanやmay(できる、してもよい)であって、必ずそうせよ、という意味に受け取るのは誤読かと思われますがどうでしょうか』 (2004/05/30 06:06)

今となってはそういう理解でもいいかもしれない。でもこの文章が書かれた時の意図としては「必ずそうせよ」の意味だったはずだ。少なくともそう理解するのが自然だった。
というのも、当時はキーワードツリーがあったので、文学作品としての「審判」と行為としての「審判」とを同じキーワードに書いてしまうと、ツリー上でどこに置くかで困ってしまうという事情があったのだ。


ツリーはなくなったけど、今でもカテゴリ分類というものは残っているのだし、別のカテゴリに属す複数のもの(一般の「落合」とスポーツの「落合」と読書の「落合」)を1つのキーワードにまとめるのは、決して望ましい使い方ではないと思う。