三原山の投身自殺ブーム(1933年)

昭和8年頃の寺田寅彦の随筆*1を読んでいたら、三原山の火口に身投げするという話が何度も出てきた。当時は飛び込みといえば電車じゃなくて火口だったのか、と意外に思って調べてみたところ、

●実践女学校生が1月と2月に相次ぎ三原山火口に投身自殺。2件に同じ同級生が立会ったことでセンセーショナルに報道され、この年だけで129人が火口へ投身自殺。

という背景だったらしい。そういえば前に聞いたことがある話のような気もする。それにしても年に129人もの人が(944人と書いているサイトもあるが、いくらなんでも……)わざわざ船で大島まで行って飛び込むというのだから、変なことが流行ったものだ。中央線はもうあったはずなのだが。